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6歳になりました

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今年も例年のように沖縄古宇利島へお参りに行き、今年はもう絶対に食べられないと思っていた大好きなすいかでお祝いをしてもらい、お誕生日当日はご近所のお友達家族が遊びに来てくれ、とても楽しい夜を過ごすことができました。

急性脳症発症から1年半。脳波に多少の異常はみられるものの、それがすぐにてんかんを引き起こすような大きな兆候ではないとのことで、服用していた薬も一旦やめることになりました。「今日でもうお薬は最後だよ。」と言ったときの娘の喜びの顔!1年半、よく頑張ったと思います。
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早いもので来年から小学生。保育園のお友達が通う地元の小学校の支援学級に進学するのか、それとも支援学校に進学するのかを選択する時期になりました。今年2月から両方の学校見学や面談を何度か行ってきました。保育園のお友達が大好きな娘。小学校低学年のうちは、地元の小学校の方が良いかなとなんとなく考えていましたが、実際に見学に行ってみると、車椅子での活動はなかなか難しそうでした。そもそも肢体不自由の子が登校することを想定していないので、階段や段差が多かったり、車椅子用のトイレが使いづらそうだったりというハードの面での不便さは仕方のないことでした(このハード面の問題は、本人並びに保護者が、この学校に通いたいので改善して欲しいという意思を学校に伝えることは可能で、その場合は学校も対応するということになっています。ですが、実際問題、対応するには予算立てからしなければならないので、ハード面のクリアにはかなりの時間を要すると想定されます)。

学習や活動については、一緒にやりやすい音楽などは普通クラスで、国語や算数などは支援学級でということでした。なお、支援学級の先生については、専門の資格は特に必要ないこともあり、支援学校のようなフォローは難しいとのことでした。

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対して、支援学校の方は、肢体不自由の子の学校なのでハード面の心配はありません。廊下などの通路も広く、トイレも広くまた便座なども障がいの様子によって選べるようにいくつか種類がありました。
学習や活動については、自立中心型(自立することに重点を置く)、教科型(教科書を使って勉強することに重点をおく)、自立と勉強の半々型、の3つの型から選べるようになっています。生徒それぞれ個々のカリキュラムを組み、その子にペースにあった学習や活動を行うようになっているようでした。

今年になって、急性脳症からの回復も進み、自分の意思表示もかなり強くなってきたようでした。お友達と遊んでいても、自分の思うようにいかないと怒ったりするのですが、それがなぜ怒っているかお友達に伝わらないため、お友達もどうしていいか分からない…などという場面をよく目にするようになりました。
それぞれが成長しているので、当然のことです。
今、娘に一番必要なことは、文字ボードなり手話なり、どんな形であれ、自分の意思を外に表現することを身につけることかもなぁと思うようになりました。

それには、地元の支援学級に進むよりも、支援学校で娘のペースに合わせた活動していく方が良いだろうという結論に至りました。

この夏とつい先日の2回、支援学校の体験入学に行ってきました。
どちらも始終笑顔で活動していて、まずはこの道で行ってみようと思っています。
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自分にとっては、とても苦しい1年でした。
どんどん大きくなる娘。どんどん歳をとる私。今現在、娘の身長は112㎝、体重は20キロ弱。
抱き上げる時も長さがあるため特に腰に負担がかかり、腰や股関節に不具合が出てきました。
職業柄、旦那さんは不在のことが多く、全国で大雨や地震の被害が相次ぎ、明日は我が身、ひとりで娘を抱えていざという時避難することが出来るのか・・・日々不安はつのります。

我が家は2階に浴室があるのですが、娘の2階への上げ下ろしがいよいよしんどくなり、この夏に1階の部屋を改装してシャワールームをつけ、1階で暮らせるようにしました。ですが、これまでは、娘を寝かしつけた後、または、起きる前の早朝に、お菓子やパンの製造をしていたのですが、1階で寝ているとその製造音で娘が起きてしまうようになり、夜中や早朝の作業が全くというほど出来なくなってしまいました。

何でもそうですが、やってみないと色々分からないものです。
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解決できていないこと山積みで泣きたくなることも多い日々ですが、相変わらず食べることが大好きで、文字ボードで、自分の大好きな「すし(寿司)」だけは絶対忘れない娘は、毎日たくさんの笑顔とイライラをくれます(笑)。

この間、お友達がこんな言葉をくれました。

「娘さんがいるせいで行動が制限されていると思いきや、あなたの世界はどんどん広がってるよね。」

本当だ。

娘にもそろそろ陶器を使ってほしくて(放っても壊れないモノではなくて放ったら壊れてしまうことを知ってほしい)、片手でもすくいやすいようなお茶碗を作りたくて陶芸を始めました。

お友達が誘ってくれた民族舞踊と着物の暮らしは、カラダの芯を意識でき、抱っこで歪んだ体を楽にしてくれるので、今の私に欠かせないものになりました。

子供のころから、障がいがある人と関わるのが苦手でした。どう対応していいか分からずに。娘がいてくれるおかげで、当事者にならないとわからないことがたくさんあるということ、いろんなひとがいるということを、本当に知ることが出来ました。

関わってくださる全ての方々へ。
ありがとうございます。

# by honohono_journal | 2018-12-25 23:17 | こども

5歳になりました

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1年に一度、娘のお誕生日付近に、娘の1年の成長を記しているこの記録。
昨年の結びは「4歳はどんな年になるだろう?とても楽しみです」としていたようですが、それがまさかこんなに大変な1年になろうとは、その時思ってもみませんでした。

4月。保育園の進級式。先生がひとりひとりのお名前を呼んで返事をする場面。右手をあげてタイミングを合わせて「はい」とお返事をしたことをとても嬉しく思っていました。
私自身は自宅の敷地内に小さなカフェをオープンし、その進級式のあった週末から週に2日だけお店を開けることにしていました。

その矢先の2週目、お店の営業中の13時すぎ、保育園から連絡がありました。「午前中からちょっと様子がおかしい。元気がなくてお昼も泣いたままごはんを食べず寝てしまった。少しだけ寝て起きたらまた泣いてちょっとだけ嘔吐しました。お迎えに来てもらえますか?」と。その時お店に来てくれていたお客さんはたまたまお友達だったので、お店を開けたまま、ちょっとお迎えだけ行ってくるね〜と軽い気持ちで保育園に向かいました。

保育園に到着した時、娘は痙攣を始めていました。その場で近くの診療所の先生に電話で指示を仰ぐと、始めての痙攣と発達障害もあることから判断が難しいので救急車を呼んだ方が良いだろうということで、救急搬送されることになりました。私は急いで一旦家に帰り、まずお店を閉め、保険証と障害者手帳だけ持って保育園に戻り、救急車に乗り込みました。
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3日間39度を超える高熱が続き、いくつかの検査を経ての診断結果は、「痙攣重積型(二相性) 急性脳症」。その後1週間ほどは、よびかけに何か反応は見せるものの、父母を認識している様子はなく、生きてさえいてくれればなんでもいいと願う日々でした。痙攣が1時間ほど続いたことから、画像では左脳が真っ白に写り、右半身麻痺は避けられなそうだということが分かりました。
その後、入院から3週間後に退院。しかしながら、その退院の1週間後に後遺症の不随意運動(自分が意図していないのに勝手に麻痺側の体が動いてしまう様子)がかなりひどくなり不眠に繋がってしまったため、約1ヶ月の再入院となりました。
再入院から約1ヶ月後、不随意運動の激しさや情緒不安定な面も少しずつ改善されてきた様子が見られ、退院となりました。
(この2ヶ月間の病状変化は少しレアなケースで、学術的にもほどんど論文もないようでした。必要な方に届くように病状記録はまた改めて詳しく記したいと思います。)

急性脳症発症から3ヶ月の7月。わずかな発語(パパ、ママ、おは、バイバイ)はなくなってしまいましたが、記憶の部分はあまり損失がなさそうで、家族や保育園のお友達ははっきりと認識していました。大変ありがたいことに、園長先生から少しずつ保育園も再開してみましょうかとご提案いただき、まずは午前保育から、8月からは通常保育に。8月後半にはリハビリ施設で2週間入院しながらの集中リハビリを受けました。
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今、急性脳症発症から8ヶ月。
右足は随分と自分の意思で動かせるようになりました。右手はまだ違和感があるようで、触られたり握らされたりすることを嫌がりますが、拍手をする時、バンザイをする時など、時折自分の意思で動かそうとしている光景が見られるようになりました。普段の生活動作は左手を中心に行えるようになりましたが、片手で出来る作業には限界があり、右手で「押さえる」とか「支える」くらいの動作がなんとか出来るようになると、遊びもまた少し広がりそうです。(たとえば、マジックのキャップを外したり、ハサミで切るときに紙を押さえるなど)夏の集中リハビリで一人座りが出来るようになったことで、遊びにも広がりができました。発語は「ママ、パパ、バイバイ」が戻ってきました。モノの理解力や何か言われたことに対する反応に関していえば、病気前よりも上がっている気がします。

保育園に戻ってお友達と活動できたこと、本人は本当に大変だったけれど、集中リハビリがその後の回復の大きな助けになったと感じています。そして何よりも「出来るとうれしい」や「やってみたい」という意欲が戻ったことがとても大きくありがたいことでした。
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娘本人は病気にかかったことは分かっていないように思います。
体の右側が以前は動いていて、今はうまく動かせなくなったことを理解しているかどうかはわかりません。

ただ、以前と変わらず好奇心は旺盛で、いつもやりたいことがいっぱい、常に前向きです。

それに対して、ええかっこしいの私は、表向きは明るく色々なことに好奇心旺盛で元気にしているようだけれど、いつも答えの見えない思いに囚われていました。
「なぜ?」
「なぜ、娘ばかり。なぜ自分ばかり…。」

今年は都合でお誕生日より少し早めに沖縄でのお参りを済ませました。沖縄での不在中に、凍結した道路から庭へ車が突っ込んでしまうという大きなアクシデントがあり、幸い車に乗られていた方は軽傷でホッとしたのですが、娘の誕生時に植えた記念樹が根元から折れてしまうという、とてもショックな出来事がありました。
なかなかうまく根付かずに2回の植え替えの後、ようやくしっかりと根を張り葉っぱも茂られせてくれた3年目でした。
娘がつかまり立ちをようやく始めた矢先の急性脳症。
この出来事がどうにも娘の事と重なって、さらに「なぜ?」の思いに囚われてしまっていました。

体は大きくなり動作は1歳から2歳くらいの状態が長く続き、こらからの暮らしに改めて不安になりました。
言っていることは全て理解しているのに、言葉を発しない娘とのやりとりに疲れ切って苛立っていました。
リハビリに行けばもっと重度の障害を持つ子や親御さんをみて、「自分の方がまだマシだ」と思ってしまう自分が情けなくなりました。
何より入院中には「生きてさえいてくれれば」と言っていたくせに、回復するにつれてあれもしてほしい、これもしてほしいと欲が出る自分が嫌でした。

いろんなことを昨日は受け入れられていても、今日は受け入れられないの繰り返しの日々の中で。

ただ、確かなのは、
妊娠中に大事故にあっても。
出産時に心拍が聞こえなくなっても。
急性脳症になっても。

娘は生きている。生きていてくれる。
彼女は本当に生きたいんだなぁということ。
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娘の病状はだいぶ落ち着き、毎日飲んでいる薬の量も減らせるようになりました(急性脳症後は数年はてんかんを発症する可能性が高いということで投薬を受けています)。
4月からノンストップで動き続けてきて、私自身心も体も本当に疲れていました。
年末の忙しい時期ですが、今年はあえて何もせず、大変だった1年をゆっくりと振り返ったり、大切なお友達とゆったりと過ごす時間の中で、少しずつ自分の気持ちも落ち着いてきました。

母、5年生。
本当に情けなくなるほど母は未熟で、それこそ娘の成長のスピードと同じ、いや、それ以下です(笑)。
ありがたいことに、家族をはじめ、本当にたくさんの方に助けていただきながら、5歳のお誕生日を迎えられたことに心から感謝です。

心からありがとうございます。
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# by honohono_journal | 2017-12-25 13:49 | こども

4歳になりました。


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娘が4歳になりました。今年も古宇利の神様にお礼とご報告に行って来ることができました。

今年は保育園に入園したことで、とーーーっても成長したなぁと感じています。家族や大人だけでなく、子供同士の関わりが大きな刺激となっているようです。6月いっぱいくらいまでは、朝別れる際に必ず泣いていました。でも行ってしまえば楽しいようで、そのうち「保育園、楽しい?」と聞くと「うんうん」と言うようになり、お迎えに行くと(手振りで)「帰らない〜」とやったり、ドアを閉めてみたりするようになりました(笑)。

膝立ちやつかまり立ちで遊ぶことがとても多くなりました。
(立つと視界が変わることを明らかに認識したようです。)

ブロックやおままごとなど、一つの遊びで集中できるようになりました。
(以前は「出しておしまい」のようなあそび方でしたが、最近は「何かを作る」的な遊びが出来るようにました。)

箸を使って食事をするようになりました。
(といっても、ちゃんと使えるわけではなく、さしたりひっかけたり。でも驚くほどうまく口に運んでく(笑)!)

トイレでおしっこが出来るようになりました。
(最初はうんちもトイレでしていたのですが、自分のうんちが臭すぎて、最近うんちはトイレでするのを嫌がるように…困った(笑)。)

どれをとっても、保育園効果が大きいように思います。

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給食は全種類おかわりするらしいです(笑)。
リトミックで張り切りすぎて転倒、アゴに大きなアザを作ってきました(笑)。
「ママと○○ちゃんとどっちが好き?」と聞くと、必ず「○○ちゃん」と答えます(笑)。

本人が毎日楽しく保育園に行ってくれるということが本当にありがたく、これ以上のことはないです。
そして、いつも一緒に遊んでくれるお友達、手のかかる娘を嫌な顔せず受け入れてくださる保育園の先生方には感謝しかありません。

さすがに4歳には、ちょっとは歩いているかなぁ〜と思っていた、昨年の今日。
いやいや、娘のマイペースは、なかなかのモンです。けれど「何かをしたい!」という気持ちはいつも十分にあるようです。
上手にできないことにストレスを感じる場面も増えてきました。
これからも娘のペースに合わせたお手伝いをしていけるように、自分自身も勉強していきたいと思います。

4歳はどんな1年になるのか?
とても楽しみです♪
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# by honohono_journal | 2016-12-19 22:01 | こども
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<身体障害者手帳の申請>
きっかけは市販のバギーではもう小さすぎる、ということでした。現在娘の体重は15㎏。日常生活にバギーは不可欠です。市販のバギーは大体12㎏まで。一般的には歩けるようになった子はバギーに乗るを嫌がり、歩き疲れて寝てしまった場合にのみ使うというのがほとんどのようですが、娘の場合は常に必要で、時折身を乗り出したりすると体が大きすぎて転倒の危険が出てきました。
リハビリ施設の担当医に相談したところ、身体障害者手帳を申請して医療用のバギーを購入するのはどうかとの提案がありました。その頃の私は勉強不足で、車椅子は娘にはまだ無理だろうと思っていて医療用バギーがあることを全く知りませんでした。身体障害者手帳を取得することについてはこれまで全く考えていなかったことですが、特に抵抗感はありませんでした。苦しかった時期もありましたが、3年くらいかかってようやく娘の状態をきちんと受け入れられるようになったのかもしれません。

身体障害者手帳を取得するためには、もちろん医師の診断書が必要です。娘の場合は、小児科、整形外科の担当医により「脳原生運動機能障害移動機能両下肢(2級)」という診断がなされました。この診断書を持って、住所のある市町村役所に申請をします。そこから県に申請をするためか、1ヶ月半〜2ヶ月などものすごく時間がかかります。この後記載しますが、手帳取得後に補装具の調整やオーダーになるため、補装具の必要時期に合わせるためには、早めの申請、取得が必須となります。

補装具のオーダーは身体障害者手帳が取得出来てからになります。年に2度ほど、一般の人も見学できる医療用機器展示会があり、私はそこで見学し、候補をあげました。リハビリ施設には補装具を取りまとめる業者さんがいて、担当の理学療法士と相談しながら、シーティング(実際に座ったりしながら調整していくこと)を行い、見積り、オーダーという流れになります。個人負担額は1割です。

ちなみに、、、
娘の場合は障害者手帳を2月に申請、取得出来たのは4月、4月末に展示会に行き、7月にシーティング(シーティングは月に2回のみ、5、6月は予約が取れず)、10月現在、まだバギーは出来ていません。
本当に時間がかかりますので、必要な方は早めに動くことをおすすめします!

<保育園の選定〜入園まで>

3歳の定期検診(12月)では血液検査、MRI、CT、視覚誘発電位、脳波等、2年ぶりに少し細かな検査を行いました。結果、サイトメガロウィルスの活性化は認められず、神経の髄鞘化、視覚誘発電位の結果から見られる左右差なども、いわゆる年齢並みとのことで問題はありませんでした。従って、発達遅れの原因は依然わからぬままなのですが、この頃になると、「ゆっくりながらも前に進んでいる」実感をしっかりと得られていたので、特に不安も不満もなく、検査の結果を素直に受け入れることが出来ました。

そろそろ、翌年の4月からの動向を考える時期に来ていました。保育園に行くのか、もう一年発達支援教室に通いながら様子を見るか。通所しているリハビリ施設の小児科の担当医に相談したところ、娘の場合は「周囲にきちんと興味がある」ので、保育園など同年代の子供との関わりはきっとよい刺激になるだろう、とのアドバイスを頂きました。同リハビリ施設には、通える範囲の保育園や福祉施設などの紹介をしてくれるコーディネーターがいて、その情報を元にいくつか候補をあげることにしました。

そして、まずは地元の一番近い保育園にダメ元でトライをしてみよう。理由は、元々、数年前に移住して来たこともあり、まだ自分たち自身も地元のお友達が多くなく、娘にも地元のお友達を作ってあげられていないこと。そして、いつまた東日本大震災のようなことが起こるか分からないこのご時世、やはり自力で迎えに行けるところにしたい。そんな思いからでした。

まずは保育園に見学に行き、園長先生に娘の状況をお話しました。娘の状況については、「運動機能について」「言語機能のついて」「食事や生活習慣について」など、かなり細かく記載した物を持参しました。

たとえば、

ひとり座りは可能ですが、時々バランスを崩して前や後ろに倒れることがあります。
膝立ちをしようとしますが、まだ筋力が弱いため介助が必要です。
あー、うー、などの発語はありますが、意味のある言語は発しません。
こちらの言っていることは、ほぼ理解しているように見えます。
コップ飲み、スプーンとフォークを使って自分で食べることが出来ます。

など、保育園の1日の生活で必要そうな情報は思いつく限り記載しました。入園申込みの際もその書類を添付しました。
その時の園長先生のお話では、現時点では「入園出来るとも出来ないとも言えない、対応する職員の数などを調整、検討して最終的に判断する」とのことでした。

約1ヶ月後、入園許可証が送られてきました。「え〜?!ホントに入れちゃった!」そんな気持ちでした(笑)。

現在、保育園入園から半年を過ぎました。
週1日は午前だけ、午後は発達支援教室、週1日はお休みして午前リハビリ、午後に発達支援教室というように、リハビリと療育も併用しています。今では保育園がとても楽しいらしく、時にはお迎えに行っても(手振りで)「帰らない〜」と言ったり。折り紙やお絵かきなどの仕方も変わってきました。カメラを向けるとポーズを取ったり、嫌なことは聞こえないふりをしたり(笑)、良いことも悪いことも、いっぱい色んなことを学んできます。


そして、スーパーで、地元のお祭りやイベントで、娘に声をかけてくれるお友達がたくさん居ることは、この上なく有難く幸せなことです。そして娘のおかげで私も地元の方々との関わりが増えました。
受け入れてくれた保育園、日々娘をみてくれている先生方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

「障がいがあるのに普通の保育園に入れるなんてかわいそうだ。」
保育園を選定している頃、こういうご意見も何度か耳にしました。
私たちも無理に普通の保育園に行かせるつもりはなく、「娘が楽しく行ける限りは」という限定付きです。
たまたま今は楽しく行けているだけかもしれないし、先のことは分かりません。

もう少し大きくなったら、例えば、「◯◯ちゃんがいるから、いつもゆっくりしか出来ない…」など、娘がいることで不満を持つお友達もいるかもしれません。娘自身ももう少し分かるようになってきたら、自分が他のお友達と同じように出来ないことで、悲しくなったり嫌になったりすることもあるかもしれません。

その時はその時、これまでしてきたように、しっかりと向き合って考え、その時にいいと思える選択をしていきたいと思っています。

娘のことについて、0歳〜3歳まで。
自分での振り返りも含めてここに綴りました。これで一旦おしまいです。
必要な方の何かの参考になれば幸いです。

長々と読んでいただき、ありがとうございました!!

# by honohono_journal | 2016-10-04 01:19 | こども
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「ほんの少しずつだけれども、確実に前に進んでいる。」
そんな実感を持てるようになり、自分の心に少し余裕が出来てくると、いろんなことが動き出しました。

自分が変わればまわりも変わる。

本当にそんな感じでした。
発達支援教室の紹介や整体、理解のある病院の紹介など、たくさんの方に親身に気にかけていただきました。しかしそれも、今までのネガティブな自分だったら全てネガティブに捉えていたかもしれません。
「全ては自分のこころ次第。」改めてそう感じました。

2歳4ヶ月の時点での娘の状態は、移動はずり這い、ひとり座りでなんとかひとり遊びが出来るようになりましたが、時折バランスを崩し前や後ろに転倒して頭や顔を打つので常に見ている必要がありました。コップ飲みはまだ出来ずストロー飲み、食事はスプーンとフォークでようやく自分で食べようとする意思が出てきたという感じでした。

今後、保育園や幼稚園に通うかどうかは別として、生きていく上でまわりの人とのコミュニケーションは不可欠、色々と出来ないことは多くても自分の意思を持って伝えたり、何より人嫌いにならないでほしい。そんな願いもあって、同じリハビリ施設に通うお子さんのママから、発達支援教室の紹介を受けて通うことにしました。
最初の3ヶ月程は、娘一人と先生二人など個別対応、少し教室になれてきた頃、2〜3人の同年代の小集団でのクラスと、4〜5人で少し年上のお友達もいるクラスと両方経験し、結果的にはどちらも経験出来てとても良かったと思っています。
同年代のクラスでは娘のペースも気にかけてもらいながらゆっくりと、お兄ちゃん、お姉ちゃんのいるクラスでは、年上の子達が鈴を気にかけて面倒を見てくれる様子や、普段は譲れないけれど年下の娘がいることで譲れたり、娘はいつもとは違う大きな刺激を受けていてそれはそれでとても良い感じがしました。
週3日、往復40キロの道のりを通うのは大変でしたが、後の保育園通園へとてもよい練習になったと思っています。

<発達支援教室への申し込みと手続きについて>
娘が通う発達支援教室は、県の指定を受けている児童発達支援教室で、保育士、臨床心理士、言語聴覚士の方がいます。定期的に面談をし、その子の状態を確認しながら短期と長期の目標を決めて、通所日数や内容を決めていきます。この教室に通うためには、通う子どもの住所のある役場で申請が必要です。認定が下りると「児童通所給付費」が給付されます。サービス利用料金の9割が通所給付費の対象となり、1割が自己負担です。娘の場合は、月10日の通所で自己負担額は4600円です(2016年7月現在)。「療育手帳まではいかないけれども、発達に不安がある子どもの支援」そんなイメージです。

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もう一つ、大きな変化がありました。2歳8ヶ月より治療用眼鏡を着用することになりました。疾病名は屈折異常弱視(両目が強い遠視や乱視のために起こる弱視)です。視力の発達する期間(生後〜6歳くらい)に強い屈折異常(ピントが合っていない状態)があると、視力が悪い状態のまま発達が止まってしまい弱視となります。これを防ぐために治療用眼鏡を着用して自分でピントを合わせる練習をするということです。後に自分でピントを合わせることが出来るようになれば眼鏡を卒業することが出来ます。

2歳8ヶ月、娘はまだずり這いの状態でした。ずり這い時やひとり座りの際の眼鏡着用は急に転倒したりした時に危ないので、最初は椅子に座っている時、それも娘が大好きな食事の時だけ眼鏡をかけるということから始めました。最初はもちろん嫌がりました。「ゴハン食べる時は眼鏡しないと食べられないよ〜」ということで、最初は少々我慢をさせながら、まずはゴハンの間は着用する習慣をつけました。そのうち本人に「見える実感」が得られるようになると、自分から眼鏡をかけようとするようになり、あとは楽でした。こんなに小さいうちから眼鏡なんてかわいそうだなぁと思ったものですが、本人からすれば、「よく見える」方がストレスがなかったのかもしれません。よく見えるようになると、遊び方も変わってきました。今までは手探りで遊ぶような仕草が多かったのですが、きちんと手元を見て遊ぶようになり、粘土や折り紙をちぎったりなども以前より上手になりました。

<小児弱視等の治療用に係る医療費の支給について>
9歳未満の小児で弱視、斜視、先天性白内障術後の屈折矯正の治療を行う場合、療養費の支給対象となります。治療用眼鏡を購入した際の領収書、処方箋、申請書を各保険の窓口に申請します。助成金は上限37800円、3歳未満は上限2割負担、助成金額30240円、自己負担7560円。娘の場合は助成金額内の30240円で済みました(2015年8月)。

発達支援教室への通園と治療用眼鏡の着用で、ぐーんと成長を感じられた1年になりました。
その4につづく

# by honohono_journal | 2016-07-28 00:16 | こども

"honohono"はハワイ語で"ぶらぶら、おさんぽ"。  "honohono"で出会った、ちょっとした、でも大切したい『ヒト』、『モノ』、『コト』をコラージュしていきます・・・。


by honohono_journal